2016年1月1日

本家菊屋の歴史

弊店祖 菊屋治兵衛(きくやじへい)が
豊臣秀吉公の弟君 豊臣秀長公に連れられ大和の国に参りましたのが
天正十三年(1585年)でございます。

秀吉公をもてなすお茶会に
何か珍果を作るように命ぜられ
献上いたしましたのが、粒餡を餅で包み、
きな粉をまぶしました
ひとくちサイズの餅菓子でした。

秀吉公はたいそうお気に召され、
「鶯餅」と御銘を賜りました。
砂糖が貴重な時代のことですので、
一説には全国に点在します
鶯餅の原型だという説がございます。

時が経ち、いつの頃からか
弊店が御城の大門を出て町人街の1軒目に位置しますことから、
「城の入り口で売っている餅」→「城之口餅(しろのくちもち)」
という通称が付けられ、今日に至ります。

私で26代目となります。
秀吉公の時代の千利休さんから数えて
お茶のお家元が15~16代目ですので、
弊店は何処かの地でまだ10代程さかのぼれるかと思います。

1代が25~30年としまして、まだ250~300年さかのぼれます。
ひょっとしたら弊店は700年の歴史があるかもしれません。