羽柴(豊臣秀長)と大和郡山城の歴史
豊臣秀長は豊臣秀吉の異父弟で、秀吉の天下統一を支えた有能な名将・政治家。大和郡山城は秀長が拠点とした城であり、1585年頃に約60万石の大和・紀伊・和泉の大大名としてこの城に入る。秀長は郡山城を拡張し、城下町の整備や治水・農政改革を行い、住民に優しい安定した政治を敷く。その治世は「太閤の賢弟」と称えられ、秀長の死後も大和では彼を慕う伝承や尊敬が長く残ったと言われている。
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羽柴(豊臣)秀長
羽柴(豊臣)秀長
羽柴(豊臣)秀吉の弟。天正13年(1585)、大和・紀伊・和泉の3ヶ国の統治を任され、郡山城に入る。天正15年(1587)、大納言に任官され、「大和大納言」と称された。天正19年(1591)、郡山城内で死去。在城期間は僅か6年であったが、郡山城の整備や城下町の振興に尽力した。郡山城主となった秀長は、城の整備に着手。奈良一円から石垣に用いる石材を収集した。奈良興福寺多聞院の英俊が残した『多聞院日記』には、石材収集に苦心した様子が記されている。
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秀長ゆかりの菓子(菊屋)
天正13年(1585)創業。 秀長から見秀吉をもてなす茶会に出すための菓子制作を命じられた店祖の菊屋治兵衛が餅菓子(うぐいす餅)を献上。 後に郡山城の門前で販売したことから、「御城之口餅」と呼ばれるようになった。







