天正十三年(1585年) 豊臣秀長公(太閤豊臣秀吉公の弟君)が姫路城から軍事上の要所を固める為に大和の国「郡山城」に入られた際、 何処からかお連れ頂きました。
あるとき、秀吉公をもてなすお茶会に何か珍菓を作るように弊店菊屋治兵衛に命じられました。 そこに献上しましたのが、粒餡を餅で包みきな粉をまぶした1口サイズの餅菓子で、秀吉公は大層お気に召され「鶯餅」と御銘を賜りました。
時がたち、弊店が御城の大門を出て町人街の1軒目に位置しましたことから、「城の入口で売っている餅」→「城の口餅」という通称がつき、今日に至ります。
郡山に参りましたのがお茶の千利休さんの時代であります。 お茶のお家元が現在15~16代目でいらっしゃいます。 弊店主は現在26代目でありますので、郡山に移る前にまだ10代ほど何処かで商売をしていたかと思われます。 10代といえば1代が25年~30年として、まだ250年~300年はさかのぼれるかと思われます。
しかし、そこは町人のこと、何処で何をしていたのかは不明でございます・・・・・。 |